嵐最後の日を経て
藤原丈一郎くんありがとうのブログ、といいながら今日だけ、嵐の話をさせてください。
昨日呟こうと思っても、何も言葉にできなくて、でも残しておきたいなと思って、書きます。
私は10年ぐらい、嵐を応援してきました。
子供と言われるような年齢の時から、Mステに出て新曲を披露する嵐の姿を、テレビにかじりついて見てきました。
バラエティで喋る嵐も大好きでしたが、1番好きなのはやっぱり歌って踊る嵐でした。
今までの時間を一緒に巡るように歌って踊ってくれた嵐が、2020年12月31日には居ました。
台風ジェネレーション冒頭の二宮くんのセリフ、昔からずっと聞いてきたのと同じセリフなのに、たしかにいつもとは違う意味を含んでいました。
「また会えるから」
休止発表した2年前から、
また嵐の姿を見れますか?
いつ活動再開しますか?
って何度聞かれても、絶対に明言しない大野くんを気遣うように、柔らかく濁す4人の姿を見続けてきました。
ZEROで有働アナに嵐の復活はありますか?と聞かれて、ありますよ、としっかり答えてくれた櫻井くんのあの言葉だけに縋った2年間でした。
そんな時間を過ごしてきた私にとって、二宮くんのあのセリフは、活動休止の終わりを、待ってもいいんだと言ってくれてるようにしか取れなくて、また会えるその日まで、一緒に待とうと思いました。
そして、言葉にこそしないけど、ずっと辛そうにラストスパートを過ごしていた二宮くん自身に、さよならじゃないって言い聞かせていたのかな。
最後の挨拶は、内弁慶な嵐が、
他の4人と夢を追うことがどんなに大事な時間だったかを教えてくれて、
それが自分たちの決断だとしても、その歩みを止めることがどんなに寂しいか、
刺さるように伝わってきた時間でした。
昨日のライブも、もっというと二宮くんのあのセリフも、それぞれの挨拶も、人によって解釈の仕方はそれぞれで、自由で、そのどれもが正解で、
でも、昨日あの場所にはたしかに嵐の想いがあって、それをファンに伝えようとしてくれたことだけは揺るがなくて、
見ていた誰もを救うような、そんな辛くも幸せなライブでした。
21年間、たくさんの幸せをありがとう。